一、中国陶瓷
世界各国都创造过精美的陶瓷艺术品,而中国的陶瓷文化则是其中最为浓墨重彩的一笔,并在很长时间内引领着世界潮流。在几千年的历史长河中,中国陶瓷艺术宛如暗夜中的一座灯塔,令世界顶礼膜拜。中国的陶瓷,白如玉、明如镜、薄如纸、声如磬,造型和釉色都堪称完美。每一款瓷器上,都流动着中国人天人合一的思想灵魂。
西方人的自然观是抽象的,他们通常以分析法来发现自然规则;而中国人的自然观却来自活生生的经验世界,表现为天地万物融为一体,可以触摸,可以感知,可以观察,可以在不断积累经验的基础上获得实践性的技术成果。这一思路,在陶瓷生产技术的发展道路上得到了完美的体现。
在历史的长河中,直到明朝末年,中国的科技和生产技术都一直处于世界最前沿的位置。1637 年宋应星曾编著过一本《天工开物》,堪称当时生产技术的集大成者。其中有一章专门介绍了陶瓷生产,大意是:陶瓷之所以被称为永恒的艺术品,是因为各地的匠人都抱着严谨的态度,追求精益求精的精神,如此才创造出素肌玉骨、状如美人的雅器。家中如果摆上这样的陶瓷艺术品,一定风雅至极。这段话可使我们对中国陶瓷有个初步的印象。
陶瓷既是实用的器皿,又是艺术的器物,其神奇、典雅、适用、久远、丰富的特质不知俘获了多少人的心。陶瓷技术的发展,不仅依靠理论,更依靠无数实践经验的支撑。纵观中国陶瓷发展史,每个时代都产生了一批举世瞩目的艺术陶瓷,而它们也无一例外地反映了陶瓷的这些本质特征。
《天工开物》:中国的一本科学技术著作,共三卷,作者是明代的宋应星,出版于 1637 年。全书收录了农业、纺织、染色、制盐、制糖、制陶、铸造、制油、造纸、冶金等明末科学的方方面面成就,并附图加以解说。
中国の陶磁器
素晴らしい陶芸芸術品は世界各国で生産されているが、中国の陶磁文化は最も影響力のあるものの一つであり、常に世界を牽引してきた。中国の何千年もの歴史の中で、まさに暗闇の中の灯台のように世界の頂点に君臨し続けている。中国の陶磁器は、玉のように白く、鏡のように明るく、紙のように薄く、美しい音色を持ち、造形と色彩の美しさは完璧であると称される。なぜならすべての陶磁器に中国人の「天人合一(天と人、また自然と人は一体である)」という思想、魂が宿っているからである。
西洋人の自然観は抽象的であり、基本的には分析を通して自然法則を見出すという方法をとる。一方、中国人の自然観は生き生きとした経験世界である。天地万物が一体であり、実際に触れることができ、感知、観察が可能であるということ、さらに経験の蓄積に基づいて得られる実用的な技術成果であるということに表れている。この自然観は、陶磁器生産技術の発展過程においても完全に反映されている。
歴史的には、明王朝末に至るまで中国の科学技術と生産技術は世界の最前線であった。1637 年に宋応星によって編纂された『天工開物』は、生産技術の集大成とされている。文中の陶磁器の生産についての一章には、「陶磁器が永遠の芸術作品と呼ばれる理由は、まるで絹の肌を持つ美しい女性のような優雅な器を作り出すために、各地の職人が厳格な姿勢でもってその技術に磨きをかけたからである。仮に家中にこのような陶磁器の芸術品を並べたならば、その優雅さは至極のものであるに違いない」と書かれており、これは我々に陶磁器生産についての初歩の印象を抱かせる。陶磁器は実用的な器であるだけでなく、芸術的な器でもある。その神秘的で、優雅で、また実用的かつ歴史深くて豊かな特性は多くの人々の心を捕らえている。陶磁器技術の発展は、理論だけでなく、無数の実践経験に依拠するものである。中国の陶磁器の発展の歴史全体を通して、各時代それぞれに脚光を浴びる陶磁器の芸術品が登場し、すべての陶磁器に例外なくこれらの陶磁器の特性が反映されている。
『天工開物』(てんこうかいぶつ)中国の産業技術書。全三巻。明の宋応星著。1637 年刊。穀類?衣服?染色?製塩?製糖?製陶?鋳造?製油?製紙?製錬など、明末の産業のあらゆる分野にわたって、図版を添えて述べたものである。
二、唐代以前
公元前 17 世纪以前,我国的劳动人民就已经开始通过高温烧窑的方式来生产陶瓷。这种陶瓷被日本称为灰釉瓷,而在中国,它被认为是陶瓷器的起源,因此被称为原始瓷或原始青瓷。
原始瓷,主要产地在中国江南地区,历经商殷时代(公元前 17 世纪中期—公元前 11 世纪),西周时代(公元前 11 世纪—公元前 771 年),春秋战国时代(公元前 770 年—前 221 年),汉代(公元前 206 年—公元 220 年),拥有长达 2000 多年的制造历史。后汉(25—220 年)前期的 1 世纪中叶,才第一次出现成熟的青瓷,以此为起点,江南各地开始竞相生产青瓷。三国时代(220—280 年),浙江北部地区的青瓷技艺日趋成熟,能够“化土为玉”,烧制出的青瓷釉色青翠莹润、光彩照人。其中尤以越窑所制瓷器为佼佼者。越窑几乎传承了青瓷所有的烧制传统。到了唐代,越窑的产业发展空前繁荣,达到鼎盛状态。
华北地区自汉代(公元前 206 年—公元 8 年)前期开始,都城长安(现在的西安)所在的陕西省以及副都城洛阳所在的河南省就开始生产褐釉陶瓷或绿釉陶瓷,从而揭开了铅釉陶瓷的生产序幕。到了后汉时期,铅釉陶瓷迈入了发展的成熟阶段,在黄河流经的华北地区和华南部分地区开始被大规模生产。这些产品大多用作墓葬冥器。后汉末期到三国动乱期,铅釉陶瓷的产量锐减,但并没有影响到制陶传统的延续,之后经历西晋时期(265—317 年)、东晋时期(317—420 年)、南北朝时期(420—589 年)、隋代(581—618 年)等各个历史阶段,为唐三彩的出现打下了坚实的基础。到了唐前期的 7世纪,唐三彩的出现令铅釉陶瓷大放异彩,闻名海内外。
青瓷原本只在华南地区生产,南北朝时期的 5 世纪后期逐渐扩大到了华北地区。尤其到了北魏朝,华北地区对青瓷生产表现出了浓厚兴趣,并且在南北朝末期(6 世纪后期)改良了青瓷烧造技术,生产出了素雅高贵的白瓷。
南北朝末期,中国的陶瓷生产形成了南北两大格局:华北以生产铅釉陶瓷和白瓷为主,华南则以生产青瓷为主。这种区别一经产生,一直到唐代均代代沿袭。
灰釉:将植物燃灰用于溶剂的釉料,常用榉树等的木质灰及稻草灰等制成。
瓷器:烧制器物的一种,烧制温度高于陶器,其坯体洁白坚硬,呈透明或半透明状,不吸水;自中国宋代末期发展迅速,日本则自江户时代初期的有田地区开始烧制。
绿釉:陶釉的一种,是含铅低温釉,以铜为显色剂,呈鲜艳的绿色。
白瓷:质地白,釉透明,是高温烧成的瓷器。白瓷兴于中国古代,唐时期已被从西亚运往伊比利亚半岛进行交易。日本白瓷则始于江户初期的有田烧。
唐時代より前の中国磁器生産
中国では紀元前 17 世紀頃より前から、窯を使った高温焼成による陶磁器の生産が開始された。この陶磁器は日本では灰釉磁器と呼ばれているが、中国では陶磁器の起源と考えられているため原始磁または原始青磁と呼ばれている。原始磁は主に江南地方で生産され、商 ( 殷 ) 時代 ( 紀元前 17 世紀中頃?紀元前 11 世紀 )、西周時代 ( 紀元前 11 世紀?紀元前 771 年 )、春秋戦国時代 ( 紀元前 770 年?紀元前221 年 )、漢王朝 ( 紀元前 206 年? 220 年 ) と、約 2000 年にわたって作り続けられた。後漢時代 (25 年? 220 年 ) 前期の 1 世紀中頃に成熟した青磁が出現すると、江南各地で青磁の生産競争が始まり、三国時代 (220 年? 280 年 ) には浙江省北部で青磁技術が日に日に発達していき、生産された青磁の鮮やかな緑色は輝きを放つものであった。中でも越窯は極めて優れており、青磁のほぼ全ての焼成伝統を受け継いでいる。唐代になるとその産業発展はかつてないほど繁栄し、全盛期を迎えた。
華北地方では前漢時代 ( 紀元前 206 年? 8 年 ) 前期から首都長安 ( 現在の西安 ) のある陜西省や副都洛陽のある河南省で褐釉や緑釉の陶磁器が生産され始め、鉛釉陶器の生産が本格化した。後漢時代には発展の段階を迎え、黄河流域を中心とした華北地方と華南地方の一部の地域で大規模な生産が開始され、これらの陶磁器は主に墓の埋葬器具として用いられた。後漢末期から三国の動乱期には鉛釉陶器の生産は急激に減少したものの、その伝統は途絶えること第一章·中国陶瓷
なく、西晋王朝 (265 年? 316 年 )、五胡十六国時代 (316 年? 439 年 )、南北朝時代 (439 年? 589 年 )、隋王朝 (581 年? 618 年 ) と続き、唐三彩の基礎を築いた。唐王朝前期の 7世紀には唐三彩の出現によって鉛釉陶器は輝きを放ち国内外でも有名になった。
南北朝時代の 5 世紀後半頃には、それまで華南地方でのみ生産されていた青磁の技術が徐々に華北地方に伝わり、北魏朝のもとで青磁生産が盛んになり、南北朝時代末期 (6世紀後半 ) には華北で青磁技術が改良され白磁の生産が開始された。
このように南北朝時代末期において、中国における陶磁生産は、華北では鉛釉陶器と白磁、華南では青磁が主流となるといった状況が確立し、こうした様相が唐時代に引き継がれたのである。灰釉(かいゆう / はいぐすり)植物の灰を溶媒に用いた釉。欅などの木質灰や、藁灰などを用いる。
磁器(じき)焼き物の一つ。陶器より高温で焼成。素地は透明または半透明の白色で硬く、吸水性がない。中国宋代末から発達し、日本では江戸初期に有田で焼き始められた。緑釉(りょくゆう)陶器の釉の一つ。鉛を含む低火度釉で、銅を呈色剤とし、鮮やかな緑色を発する。
白磁(はくじ)素地が白く釉薬が透明で、高温で焼いた磁器。中国古代に興り、唐代のものは西アジアからイベリア半島にまで交易された。日本では江戸初期、有田焼に始まる。
越窑
五代(907—960 年)虽然时间不长,但这个时期的越窑在吴越王钱氏家族的呵护下,青瓷的烧制技术取得了重大的进步。唐代出现的“秘色瓷”,是一种全新的高质量青绿色瓷器,其釉色清澈碧绿,散发出如冰似玉的光泽,是青瓷中不可多得的珍品。到了北宋时期,青瓷技术更上一层楼,雕花、刻花、玲珑雕刻等形式多样的纹饰技术粉墨登场,使得青瓷越发典雅秀美。
青瓷:因釉中所含的铁被还原,而呈现青绿色或青黄色的瓷器。
纹饰:装饰用的花纹图案。
越窯
五代(907 年~ 960 年)は短時間ではあったが、この時期 せん しの越窯の生産は呉越国王の銭氏一族の庇護と管理下にあり、青瓷焼成技術は著しく進歩した。唐代に表れた「秘色青磁」は全く新しい高品質の磁器で、その色は透き通るような青緑色で氷のような光沢を放ち、青磁の中でもまれにみる貴かっ重な磁器である。北宋の頃には青磁技術は一層発展し、劃 か花(線彫り)や刻花、透彫りなど多彩な文様装飾技術が登場し、青磁はいっそう優雅で麗しいものとなった。
青磁(せいじ)青瓷とも書く。釉に含まれる鉄が還元されて、
第一章·中国陶瓷
緑青色あるいは黄みを帯びた青色を呈する磁器。
文様(もんよう)装飾のためにつけられた図柄。
磁州窑
因为磁州窑陶器胎土原料杂质较多,大多呈灰色或灰褐色,所以需要在陶胎上涂一层厚厚的白泥(白陶土),经过一番化妆美容,使它看起来像是真正的白地,然后再用刮刀或毛笔描纹、施釉,最后在馒头窑中烧制而成。釉料包括透明釉、绿釉、褐釉、翡翠釉等。后来这种技艺成了描述陶瓷种类的专业词汇,也称“白地黑花”或“黑地白花”,而没有进行装饰的陶瓷则称为“白地陶瓷”。
磁州窑位于河北邯郸,除了黑釉陶瓷,还主要烧制白地陶瓷,自五代末期至今,从未间断,是有代表性的大规模陶瓷产地。这种白地陶瓷还出现在陕西、山西、河南、河北、山东等地的窑址遗址中,因为使用相似的陶胎、制作技法、装饰纹样,所以很难界定每件陶瓷的准确产地,只能加上一个“系”字,来泛称以磁州窑为代表的华北瓷窑。再具体点,就是把烧制白地陶瓷的瓷窑统称为“磁州窑系诸窑”。
陶胎:即素坯,是指制作手工艺术作品尤其是工艺品时未经装饰的素胎,在陶瓷制作上是指未施釉的素胎。
刮刀:一种用竹、木、象牙、金属等削成的细长、扁平、尖端呈刃状的用具,用于压折缝、做记号或搅拌、涂抹东西。釉:是指在素坯陶瓷器的表面上挂的硅酸盐化合物,烧成后形成玻璃质,可防止空气、水的渗透,增加耐腐蚀性和强度,同时使器具表面呈现美丽的光泽。
陶器:陶瓷器中,质地吸水并施有光泽釉的是陶器。陶器分为粗陶和接近于瓷器的精陶。
白地:白色的底色。
磁州窯系陶器
磁州窯系陶器は原料の胎土に不純物が比較的多く灰色や灰褐色をしていることから素地に白泥(白化粧土)を厚く塗り、真っ白にしてから無文になり、あるいは箆や筆などによる文様を描き施釉を行う。透明釉、緑釉、褐、翡翠釉などの釉薬をかけて、最後に饅頭窯で焼成する。この技法はのちに陶磁器の種類を示す専門用語ともなり、「白地黒花」「黒地白花」と呼ばれ、また飾りを施していないものについては「白地陶磁」と呼ばれる。
磁州窯は河北省邯鄲市に位置し、黒釉陶器を除けば五代末期から現代に至るまで白地陶器を焼造し続けた最も大規模な陶磁産地である。このような白地陶器はほかに現在の陝西省、山西省、河南省、河北省、山東省などの窯跡でも見られる。ほぼ同じような素地、製作技法、装飾文様を用いて製作されているため、ひとつひとつの陶磁器に対し明確に産地を特定することは難しく、「系」という文字を付け加えることで磁州窯に代表される華北地方の窯を総称する。さらにこうした白地陶器を焼造する窯を「磁州窯系諸窯」と表すようにもなった。
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